「暮らしをよくしたい」「こんな暮らしがしたい」と10年前からよく考えます。最近は「こんな暮らしをしたい」と完成像を描く前に、「どうしてそう思うのか?」「そもそも暮らしって何?」と思うようになりました。自分が何を望んでいるのかを探ることが、暮らしの方向性につながると考えて、言葉の意味から深掘りしていきたいと思います。
暮らしの語源は日が暮れる
「暮らし」の語源は、「日が暮れる」という言葉に由来しています。
電気のない時代は、日の出とともに活動を始め、日が暮れると活動を終えるのが一般的な生活スタイルでした。この「日が暮れるまで時を過ごす」という一連の営みが、「暮らす」という意味になり、それが名詞化されて「暮らし」という言葉が生まれました。
つまり、「暮らし」とは、太陽の動きに合わせて一日一日を過ごすこと、そしてその月日を送る生活全般を指すようになったと考えられています。
素敵だなと思いました。自然の流れに沿って丁寧に生活を営んでいくという様が目に浮かびます。今、この瞬間でもあり、一日のことでもあり、そもそも月単位、年単位でもあり、時間だけでなく、物のこと、コミュニティのこと、多岐にわたることが考えられますね。もう少し深堀りしていきます。
英語変換でわかった暮らしを構成する4つの要素
AIより、暮らしを英語変換すると以下の4つの要素に分けられるということです。
* 生活全般: 日常の活動、食事、睡眠、仕事、趣味など、人が生きる上で行うすべてのことを指します。「daily life」や「everyday life」
* 生計・生業: お金を稼ぎ、日々を営んでいくこと、経済的な側面を含む生活を指すことがあります。「livelihood」や「living」。
* 居住・住まい: どこに住み、どのような環境で生活しているか、という物理的な側面や、そこでの営みを指すこともあります。「living」や「habitation」
* ライフスタイル・生き方: 個人の価値観や選択に基づいた、独自の生活様式や生き方を指す場合もあります。「lifestyle」
少し解像度が上がって、具体的に見えてきました。
生活全般の実態と望み
日常の活動、食事、睡眠、仕事、趣味など、人が生きる上で行うすべてのこと
「日常生活活動」はどうでしょうか
食事:栄養はとれています。材料は、購入品、冷凍食品に頼りがちで、買うことが多いです。「安全なもであるか」「価格はどうか」と気にかけることに、ストレスを感じることも。平日は調理する時間を捻出することが難しく、週末に作り置きをしたり、時短調理を工夫したりしています。効率重視です。洗い物を減らすために、サランラップを使ったりなど、手間をどうすれば減らせるかを優先していることに違和感があります。
家族そろって食べてはいますが、子ども達はテレビに気がとられていて、親としては、みんなで今日楽しかったことや見つけたことなどで盛り上がりたいところ。「ありがたく思う」とか、「おいしい」「楽しい」という感じではなく、摂取している感じです。
自給菜園を始めたり、農家さんのお手伝いをしたりすると、食べた時の味わいがまるで変わり、奥深くなります。それはおいしいだけでなく、喜びや感謝といった気持ちも含めて満ち足りた感じです。お腹だけでなく心も満たすことに価値を感じています。
睡眠:これは十分にとれています。子どもと布団に入ることが多いですが、一緒にピロートークをしたり、寝顔を見ると幸せな気持ちになります。一方、良くないとわかっていても、スマホにはまって気が付けば夜更かしをしたり、疲れからリビングで寝落ちしてしまうことも。別にその行為自体は否定しないのですが、それほどまでに疲れてしまっているという現状は何とかしたいですね。
スマホ、ついつい見てしまいます。意図的に家族と過ごす時は、手離して同じ時間を過ごすようにしていますが、1分でも手持無沙汰になるとうずきます。これは1種の病気ですね。それに伴って、家族のコミュニケーションが減っていることに虚しさを感じます。体だけなく心も整えたいところです。
排泄:水洗式を利用しています。当然尿も便も当然毎回流しています。週末に、合成洗剤や漂白剤を使って、衛生清潔を保っています。便利に思う一方で、感染症以降、衛生清潔への価値観が生き物として偏ってきていること、当たり前に水を必要以上に使ってしまっていることや、流した後がどうなっているかへの無関心さにモヤモヤします。

生きるためにしていることが、何かに依存していたり、効率を重視し行為のみだけになっている現状が少なからずあります。そこに、虚しさを感じるし何とかしたい感があります。安心して、体を作り整えて、楽しく続けられることでありたい。もっとも大切にしたい暮らしの核ですね。
生計・生業の実態と望み
お金を稼ぎ、日々を営んでいくこと、経済的な側面を含む生活
いわゆる雇用型で共働きです。私は正規、妻は非正規で勤めています。やりがいこそあるものの、自分には向いていない部分が多く、「家族を養う」という責任を感じて、無理して働いています。やめてもいいと言われればすぐにでもやめたいですね。「しんどい」「疲れた」と家庭でつぶやくことが多いですね。
なので、最近は、仕事への認知を変えたいと考えています。これまでは、生きるためにはお金が必要という事実が、家族ができたことをきっかけに、幸せになるためには安定した稼ぎが必要という幻想?にすり替わり、日々押し寄せる忙しさの荒波に飲まれないよう、家族のためにという意義で奮い立たたせてきましたが、限界を越えて一時休業に至り迷惑をかけてしまいました。
そもそも仕事を労働の対価にお金を得るものと、信じて疑ってきませんでしたが、お金を得る方法には3種類あることを知り、人生設計を考える余地が生まれました。100歳までマネープランニングすると、結構分かりやすくなりました。今模索しているところで、そのストーリーをこうして発信しています。

定年雇用だけがお金を得る方法ではないということが分かり、自分にとって満ち足りた生活にはお金がどれだけ必要で、それはどのようにして得ることができるのか、また、そのために自分の専門性を生かしてできることや、どのような知識を得る必要があるのかを考えています。100歳まで健康に暮らしていくためだけの最低限のお金を得られればいいです。
居住・住まいの実態と望み
どこに住み、どのような環境で生活しているか、という物理的な側面や、そこでの営み
立地は、そこそこ田舎です。子どが安心して遊べる身近な自然はありますが、山を登ったり泳いだりできる場所へは車で行きます。徒歩一分で24Hスーパーやコンビニもありますし、駅まで歩いていけます。商業施設もあるので、生活に必要なものや娯楽に得るものに不自由しません。
けれども、なんだか、むなしいんですよね。消費的というか。一時的な充実感や高揚感は得られますが、住まいに戻ると「楽しくない場所いる」みたいな感覚が少なからずあるというか。自給菜園や、自然と子どもをつなぐ活動が充実してきてその感覚は減ってはきていますけれども。
住まいは戸建てのマイホームです。よくあるホームメーカーの木造住宅です。高気密高断熱で、暑さと寒さには強いです。耐震構造がされています。防犯ガラスです。
水は上下水道を契約しています。飲料水やお風呂、トイレなど生活水を使う分だけ購入しています。
エネルギーは、オール電化住宅で電力エネルギーで生活を構成しています。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、エアコンなど電化製品に囲まれています。食器洗浄機、浴室乾燥機もあります。こうやって振り返ると、本当に電気機器に使って生活を営んでいます。電力会社と契約し、必要な電力を購入しています。我が家の電気代は平均よりもかなり高いです。
我が家は、安心安全が保障され、生活に必要なことが手作業1つでできています。利便的な生活です。これってすごいことです。けれども辛くなることもあります。10年経ち、住まいを維持するメンテナンスの必要が出てきました。白アリ対策、外壁、屋根、水回り、当然、自分達でしようとすると、住まいの質を低下させてしまう不安があるので、業者にお願いします。すると、何100万とまた、お金がかかってくるので、稼がないといけないというお金の不安にさいなまれています。つまり、高い安心安全、便利な設備がそろっている住まいは、たくさんのお金が必要です。住宅ローンに加えて、メンテナンス費用も上乗せされ、またローンを組む・・・「金、金、金」です。稼ぐノルマが発生し、生活よりも比重が高くなり苦しくなるという負のループにはまっています。安心安全、便利さを求めるが故に、お金の不安が増していく住まいですね。これは子どもや家族には感じにくい、稼ぐ本人に集中しやすい不安です。
どの程度の安心安全を求めるのか、便利さが必要なのかを見直したいです。

住まいには最低限の安心安全が保障されればいい。お金のことをずっと心配したくない。
ライフスタイル・生き方
個人の価値観や選択に基づいた、独自の生活様式や生き方
「生きるためには金がいる。稼ぐために、生きることがおろそかになっている」という現状があります。平日は仕事でボロボロになり、家庭時間は休息をするので精一杯。まるで稼ぐために生きているというような感覚に陥っていました。そんなこと本当は誰も望んでいないはずなんです。けれども「父親だから」「子どもの教育費のためだから」と、無理をしたり、本来大切にしないといけないことをないがしろにしてまで稼いだりする必要はありませんよね。親の不健康は子どもに一番気を遣わせてしまいます。

まずは、自分、そして家族が健康で幸せに生きることを主軸にしたいですね。そして地域、関わり人とも相互的に広がってほしいですね。
それと、人でなく、自然も。今の自然がより健康的で本来の仕組みを取り戻せるように働きかけていきたいです。
そしてそれらを今後の世代に引き継いでいきたいですね。そうして、自分達の場が持続的に良くなっていく未来を創っていきたいです。
まとめ:暮らしに望むことは、「安心」「健康」「人と自然の共生」
暮らしとは、日常生活、生業、住まい、生き方を総合的に営むことだということ分かりました。
我が家は、日常生活に時間をかけて、丁寧に、そして豊かに毎日を営んでいくことに価値を見出しているけれども、便利すぎる住まいにお金が必要で、そのために無理をして仕事せざる得なくなり、疲弊していることが分かりました。
暮らしに望むことは、「安心」「健康」「人と自然の共生」を丁寧に営んでいくこと。
これからは、そのための課題と、一つずつ向き合っていきたいと思います。
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