DAY16妻と自分はDV関係だった
もしもあなたが、「パートナーのためになにかを我慢するのは当然、仕方ない」と思っていたらよく考えてみてほしいです。今回は知らず知らずにDV関係に陥っていた話です。
私の妻は怖ろしい
私の妻は簡単にいえばワガママです。ただの性格ではなく生い立ちも複雑なので、何かあれば自己防衛意識が強く働き、感情的、威圧的、攻撃的な態度をとってしまいます。そしてそういう自分を認められず自分の正当性を主張してしまいます。多分そうやって幼少期から身を守ってきたんだと思います。相手のことは傷つけるくせに自分は大切にしてもらおうと矛盾を相手に求める人です。
結婚した当初から大変でした。親戚のあいさつ回りを予定していた日に妻が寝坊し、遅れてしまうとなった時に、寝坊したのはあなた(夫)のせい、みたいなことを言い出し口論になり、「私は行かない」と言い張るので予定をキャンセルしたこともありました。
子どもが生まれた時は、アトピーだったために夜中ひどく掻きむしるのを、妻はどうしてと受け入れられなくて両手足を押さえつけて子どもも本人も泣きながら「どうしてやめないの!」と怒鳴りつけてました。私が止めると、「私がこうなるのもこの子がアトピーのせいだ」と言っていました。
口論が激しくなったとき、もう感情的になりすぎて、私のことを叩く蹴る、物を投げるのは当たり前でした。子どもにコップが当たりそうになったこともありました。「私なんかいなくなればいい」と包丁を本当に持ち出して、慌てて力ずくで奪ったこともありました。
私は日に日に、妻に対して「何をしでかすか分からない人」と怖れるようになりました。と、同時になんとか救いたいとも思いました。ここまでさせる要因はどこにあるのかを考え、勉強するようになりました。どう関われば、どう環境を整えれば、妻と、子どもを守れるか考える日々でした。
子どものために耐え続けた日々
夫婦で口論になると一番被害を被るのは子どもです。目の前で取っ組み合いのケンカなんか見たくないですよね。「お父さん、お母さん!もうやめて!」と大声で叫ばれることも多かったです。
また、妻は不機嫌になると子どもに対する当たりも強くなります。「捨てるで!」と散らかった玩具を見つけると言い放ったり、「お父さんって〇〇、私は間違ってないよな」など、子どもを困惑させることを言ったりします。
落ち着いている時に、お互いの態度について話し合おうと思っても、「その話私ムリ」と避けられたり、「私だって」と自分のことばかり主張をするので、毎回話し合いどころかかえってトラブルになります。そこで、私はできるだけぶつかりを避けようと思うようになりました。
ぶつかりを避けるのは至難の技でした。基本相槌するなど聞いているふりをして中身は流したり、それとなく話題を変えたりしていました。共感ばかりしていると、同意していると勘違いされたこともあるので、「〇〇なんだね」「ちなみに僕はこう思う」とアイメッセージで自分の思いは伝えるようにしてきました。子どもと会話してる時にも自分のタイミングでしゃべりかけてくるので、「これ終わったら聞くから終わるまで待ってね」と声をかけたりしていました。
私は自分のことより他人のことを優先してしまいがちなので、「子どものために」と、妻に気を遣ってばかりな日常を過ごすようになりました。
でもそんな生活にも期待をする
かなりしんどかった日々でしたが、不思議なもので、だんだんと慣れていきます。「あれ?オレ人間的に成長してるかも」とか思ったりもしました。妻も前より手を出すことが減ってきて、一見和やかになってきたようにも思えました。心なしか家族の笑顔が増えて、「これでいいんだ」と思ったりもしてました。
妻は1ヶ月に2日くらい、調子がいい日や機嫌のいい日があります。また、少しずつですが、直接手を出すことが減ってきています。そういう姿を見ると、「まだ希望はあるかもしれない」「伸びしろはあるよな」など、ポジティブに思えることがあります。どんなにしんどい状況でも、希望を見出すと今の状況を受け入れる方に思考が働くのを感じました。
これこそDV関係に陥る仕組みかも
そんな日々を重ねて10年目から私の体調が悪くなり始めました。突発性難聴になり立てなくなりました。回復しましたが、その翌年にうつ病になりました。職場の対応が早くサポートもあって、4カ月の療養で済み復帰できましたが、休みながら夫婦関係のことを考えました。心療内科では、「仕事の業務の負荷と、家庭の多大なる負荷により発症」と診断され、専門家からは本当はNOと言いたいのに言えないことで体がNOを発していると分析してもらったりしました。
そこでハッとしたんです。「虐げられている環境の中に、勝手に希望を見いだし、価値や意味を付加しながら、辛さを受け入れてしまっていたのかもしれない」と。思い返せば、私は幼少期から自分を追い込むことには慣れていて、努力は報われるということを体感してきました。その経験が仇となっていたゆだと思います。
「きっと何とかなる」「しんどいのは当たり前」「周りはみんな応援してくれている」など、明るい未来に夢を描いて努力してきた自分を否定する気はありませんが、「虐げられていることは許容すべきことではない」「自分をまずは守ること、大切にしないといけない」と、誰かのためにではなく自分のために選択する道もあっていいと思います。
結婚したからとか、子どもが小さいからとか、いろいろな「そうであらねばならない」「そうするべき、仕方ない」という思い込みは危険です。本当にそうですか?守るべきものは何ですか?虐げられている現状を、相手も変えたいと願っていますか?
一人で抱え込むのはやめましょう
よく、「一人で抱え込まないで」ってチラシでもCMでも目にします。私も一人で抱え込んでるつもりはなかったんです。別件で行政窓口も何回も行ってますけど、気にもならなかったんです。それほおそらく「これで当たり前、うちは仕方ない」と現状を受け入れてしまっていたからだと思います。
私に気づきを与えてくれたのは、専門家の相談でした。全然別の相談でしたが、夫婦の関係をDVという言葉で知らせてくれて初めて気が付きました。
だからこれを見ているあなたがもしも今の暮らしに違和感やしんどさを感じているなら、できれば専門家や行政に相談するのをおすすめします。きっと知らず知らずに陥っている関係性に気がつくことができます。そして、支援の道が開けるはずです。
あなたの今後がより良くなりますように。心から願っています。もし私でよければ、お聞きしますのでコメントでもメールでも送ってくださいね。